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1年経ちました [東日本大震災]

東日本大震災から1年となりました。

何かを書こうと思ったのですが、思うところがあり過ぎて、上手に言葉になりません[あせあせ(飛び散る汗)]
でも、辛い中でもアリエルの成長に助けられ、たくさんの楽しみや笑顔を貰って過ごした1年でした。
アリエルが産まれる前にこんな震災に遭遇していたら、もっともっと辛いとか悲しいとか思って過ごしたのではないかと思います。

このところ、実家の家族が具合悪かったりと、心を痛めることが続いています。
3月は祖父母の命日が3日もあり、加えて震災がありと、辛い悲しいことばかりで嫌いな月になりそうです。

大きな余震は必ず来ると言われる中、昨日の未明に5弱の地震(余震?)があったりと今日という日を迎えるのが怖くもありました。
あと3時間ほどで3月12日になることを待ち望んでいます。
いつもは23:00頃寝ていますが、今日は日付が変わるまで眠れそうにありません。


ただの被災ですら、これだけ重いものを感じています。
津波の被害を受けた方、家族や親しい人を亡くされた方はどんな思いでいることでしょう。


放射能問題とか、まだまだ課題は山積みです。
簡単に被災者に「我慢をして」とでも言いたげな政策や東電の対応には怒りや不満しか感じません。

早く日本全国が平和で幸せに過ごせる日々になりますように…[揺れるハート]



震災後、東日本大震災体験を書きました。
ご参考に是非ご覧ください。
天災はいつ起こるか分かりませんので、備えは是非なさって下さい(リンクはこちら

東日本大震災24 学んだこと7 人間らしい生活をしたい [東日本大震災]

子育てブログですが、只今東日本大震災の記録を書いています。
子育て記事も合間に書こうと思ったのですが、心理的に一気に書かないと落ち着かないので、暫く震災記事になると思います[ふらふら]
震度6強の実体験としてご覧下さい。
前回は[次項有]こちら
※更新は旅行記ブログこちら)と交互に更新しています[メモ]


被災した直後、家族全員の無事がやっと確認できた時、こう思いました。
「とにかく、命が助かっただけで良かった。」

この時思った気持ちに嘘はありません。
でも、こう思っていられたのは、被災後ごく数日だけのことでした。
数日経過すると、やはり普通の生活をしたくなりました
ライフラインが断たれていれば復帰を望むし、物が買えなければ買いたい。
生活が成り立たないことはストレスだし、余震が多くて恐怖や不安を感じることもストレスでした。
たくさんのストレスに囲まれ、そこに放射能問題[どんっ(衝撃)]という余計なストレスがかかることで、更にストレスを感じていました。


震災により命を失った方がいるのだから、命があっただけでもありがたい、そう思っていた筈なのに、人間は贅沢なものでそれ以上のものを望むようになります。
「命が助かったのに贅沢では」と思い、その葛藤に苦しみました
でも、やはり人間らしい生活をしたいと思うのは当然のことと思います[あせあせ(飛び散る汗)]


そして被災したことで、当たり前だった生活に感謝するようになりました。
日々、当たり前の生活が送れることに感謝しなければならないと痛感しました。
震災は、日々の感謝を忘れた日本人に対する神様からの戒めだったのではないかとさえ思うようになりました[ふらふら]


私の知人にも避難所生活をした方がいます。
寒く真っ暗な中で雑魚寝、余震がある中で体育館や公民館で過ごし、1日の食事[レストラン]はパン1個など悲惨なものだったそうです。
車を流された人もいますし、家[家]が浸水した人もいます。

皆、生活を立て直すのに必死でしたが、やはり被災が大きいほど立て直すには時間もお金も労力もかかります。
どうしたって市町村や都道府県、時に国という大きな力も必要ですが、国会での議論などを見聞きすると、所詮は他人事
机上の空論ばかりで結局何も考えていないのだとしか思えません[むかっ(怒り)]
国会議員を減らしてそのお金を復興に充ててくれればいいのに、と思います[ちっ(怒った顔)]


震災があったことで、私も色々なことに注意を払うようになりました。
空きペットボトルに生活用水を汲み置きしておく。
家族とはぐれてしまった時の連絡方法、集合場所を決めておく
避難所となる指定場所を確認しておく。

小さなことですが、少しの備えで万一の時の安心が少し大きくなります。
皆様も是非、家族との連絡方法を決めておいてください。避難所の場所、避難経路を確認しておいてください。


長きにわたって書いてきましたが、暗い震災の記事はこれで一先ず終わりにします[end]
お読みいただいた皆様、ありがとうございましたm(__)m

震災記事の間にアリエルはすっかり成長し、そのネタもたまっているので、次回から元気いっぱい明るさいっぱい[わーい(嬉しい顔)]のアリエルの子育て記事に戻ります[揺れるハート]

東日本大震災23 学んだこと6 ご近所の方と仲良くしよう [東日本大震災]

子育てブログですが、只今東日本大震災の記録を書いています。
子育て記事も合間に書こうと思ったのですが、心理的に一気に書かないと落ち着かないので、暫く震災記事になると思います[ふらふら]
震度6強の実体験としてご覧下さい。
前回は[次項有]こちら
※更新は旅行記ブログこちら)と交互に更新しています[メモ]


そろそろこの東日本大震災関連記事も終わりです[end]
子育てブログなのに、こちらを長く書いている間に、アリエルはどんどん成長し、そちらのネタもたまってしまいました[あせあせ(飛び散る汗)]

今日の内容は、『学んだこと』としていますが、学んだというより感じたこと、になります。

皆さんはご近所の方とお付き合いはありますか?隣にお住まいの方がどんな方か、家族構成はどんなか、ご存じですか?
持家・戸建の方は、ご近所さんとのお付き合いもあると思います。
昔から同じところにお住まい、なんて方は、結構密なお付き合いがあるのではないでしょうか?
逆に、持ち家でもマンションの方、まして賃貸アパートやマンションの方は、隣が誰かも知らないなんてこともあるのではないでしょうか。

東日本大震災のような大きな災害が起こった時、離れている家族や親戚の所に辿り着くことが出来ない可能性もあります。
でもライフラインも断たれていて、もしかしたら家にも入れないかも知れない場合…
1人(1家族)だったら不安ですよね。

そんな時、どうしても今いる所で、今いる人達で助け合う必要が出てきます

幸い、私達は主人の実家[家]が近く、そちらに行けましたが、私の住む社宅では半分くらいの世帯が避難場所となる知人や親戚は遠く、行けない状態でした。
寒さもあるので、子供会で使うバーベキューセットキャンプセットなどを利用し、炊き出しをしたり暖を取ったりしたそうです。

私達の住まいは社宅ということで、お互い良く知った存在です。
元々同じ会社の人間同士ですし、近所付き合いもかなりある方です。
少なくとも、隣に住んでいる方が誰か分からない、なんてことはありません(当たり前ですが[たらーっ(汗)]
社宅ならではの決まりや協力ごとなど、煩わしいと感じることもありますが、普通のマンションやアパートよりも、協力関係は常に確保されています
当然、こういったピンチの時まとまりやすいです[グッド(上向き矢印)]

残念ながら、お隣が誰かも分からない…もしもの時、どうしよう[がく~(落胆した顔)]という方。
心配要りません[ー(長音記号2)]
決して1人(1家族)ではありません。

私の友人に何人もそういう子がいました。
皆口々に言うのは「震災までは隣が誰かも知らなかった。初めてこの日、隣近所の人を知って、協力しあった」ということでした。

人間、ピンチになるとお互いに助け合えるものです。
こんな時に初めてまともに顔を合わせても、お互いに支えあい、助け合い、協力しあえるのです。

ですが、やはり普段から接している方が良いに越したことはありません。
必要以上の付き合いや、我慢してまで密な付き合いをする必要はありませんが、ご近所の方に会ったら挨拶をし、時にちょっとした談笑をして、お互いがどんな方か知っておいた方が良いと思います。
震災みたいなパニック状態の時、「初めまして」から始まるより、ずっとスムーズな協力が出来ると思います[揺れるハート]

東日本大震災22 学んだこと5 最低限の備えとして [東日本大震災]

子育てブログですが、只今東日本大震災の記録を書いています。
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今日あたり、ちょっと余震が増えていて、相変わらず11日前後は怖いと思う日々を過ごしています[ふらふら]
暗い内容のブログもそろそろまとめて終わりにし、その間日々成長するアリエルのブログに戻ろうと思います。


震災後、幸いにも数日で電気[ひらめき]が復活しました。
私達は主人の実家[家]にお世話になれ、そちらに備えてあったものもありますが、自分の住まいにはカセットコンロも懐中電灯もありませんでした。
最低限、灯りを確保出来るもの火を使えるもの(カセットコンロなど)はないと、万一の時に何とか生活をすることが出来ます。

そしてこの震災で最も痛感したもの。
それは現金を持っていないと困るということです。

私は元々倹約家なところがあり、あまり現金を手元に置くことを好みませんでした。
また、よく利用するスーパーでは専用のクレジットカードがあり、特定の日に割引があるので重宝していました。
メインのスーパーがカード利用だと、明細が届いた時、それに他での買い物金額を足すだけで、大体の食費把握も出来るため、便利に使っていました[るんるん]

しかし、震災により停電中は勿論カードが使えず[がく~(落胆した顔)]
電気が通っても、数日はカード清算のシステム復旧が出来ず、現金払いのみでした。
あまり現金を手元に置いていなかったので、ずっとこの状態が続いたらどうしよう[もうやだ~(悲しい顔)]と不安になりました[あせあせ(飛び散る汗)]

いくら口座に残高があっても、カードがあっても、ライフラインが断たれた時は現金しかありません。
少し多めの現金を手元に置いておくことは大事だと思いました[ー(長音記号2)]

また、震災以後は銀行[銀行]の通帳などをひとまとめにして、持ち出しやすいようにしておきました。
通帳がなくても引出可能な状態にしてくれたり、再発行してくれたりするでしょうが、あった方がスムーズにいくことは明らかですし、何で家に入れなくなるか分からないので、パッと持ち出せるようにしておきました[有料]

万一の時には、便利なものほど役立たないです。
特別たくさんの備えは要らないと思いますが、最低限のものは是非備えておいてください。
生活が成り立ち、物があった時に買える状態であるだけで充分です[決定]

東日本大震災21 学んだこと4 災害用伝言板の使い方を憶えておこう [東日本大震災]

子育てブログですが、只今東日本大震災の記録を書いています。
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東日本大震災の日、東日本のかなりの部分が停電し、一般電話[電話]は勿論不通、たくさんの人が一斉に通信しようとしたことで携帯電話[携帯電話]も繋がらなくなりました[ふらふら]
離れている家族の安否が分からず、やきもきした方も多いと思います[あせあせ(飛び散る汗)]
私も何度も襲ってくる余震に震えながら、何度も通話[phone to]やメール[mail to]を試みても、なかなか通信出来ませんでした[バッド(下向き矢印)]

そんな中、主人がいち早く携帯の安否確認サイトに「家族3人皆無事です。怪我もありません」と書き込んでくれていました[メモ]
携帯電話会社も、NTTの171と同じように災害用伝言板があります[ひらめき]
サイトアクセスさえ出来れば、自分の状態を書き込むことが出来ます。

この伝言板の存在をご存じの方はどのくらいいるでしょうか…[exclamation&question]
震災があったことで今はご存じの方も多いかと思いますが、震災前から知っていたという方はそんなに多くなかったのではないかと思います。
まして、その使い方まで知っている方は少なかったのではないかと…


携帯版は、相手の携帯番号が分かれば、携帯番号で検索することで、相手の安否が離れた所でも確認出来ます。
しかし、少し落ち着いた頃に、私が家族の番号で検索してみても、誰一人書き込んでいませんでした[バッド(下向き矢印)]

主人は、職場で災害時に備えた研修の際、このサイトについての説明を受けたそうです。
実際に書き込む直前まで操作してみるところまでやったので、当日も書き込めたと言っています。
私は勿論、利用の仕方も知りませんでした[ふらふら]


今、普通の生活に戻って、友達に聞いてみても、安否確認サイトの存在すら知らない子もたくさんいます。
これではあまり意味がないと思います。


NTTの伝言板も含め、是非ご自分の携帯電話会社の災害用伝言板サービスの利用法を確認しておいてください。
ご自分のみならず、ご家族にもその方法を確認しておいて貰って下さい

皆がこの利用法を知っていれば、例え災害時に直接連絡が取れなくても、お互いの安否が確認出来ます。安否が分かるだけでも、安心出来ます。
分からないということだけで、何をしていても不安がつきまといます。
せっかくあるものですから、是非利用法を知っておいて活用して下さい。

大変ありがたいことに、携帯電話会社ごとに書き込みサイトはありますが、安否の検索は主要携帯・PHS会社5社一括検索が可能です。
利用方法さえ知っていれば、家族や友人の安否確認が容易に出来るようになっています。


使わなくてはいけないことが起こらないことが理想ですが、災害はいつ起こるか分からないので、是非備えておいてください。


※ただ、携帯サイトには「サービス期間のみご利用出来ます」とありますので、練習としてサイトに行くことが出来ない場合もあるかと思います。(主人の会社での研修がどんなものかは定かではないですが…[たらーっ(汗)]

※あれだけの災害当日でも、サイトアクセスが全く出来ないことはなかったそうです。
 もしかしたら、災害用伝言板はアクセスしやすくなっているかも知れません。
 回線が混雑していても、サイトアクセスさえ出来れば書き込めるので、是非災害時に利用できるようにしておいてください。

東日本大震災20 学んだこと3 役に立ったもの [東日本大震災]

子育てブログですが、只今東日本大震災の記録を書いています。
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東日本大震災[どんっ(衝撃)]によるライフライン断絶により、思わぬ不便な生活をしたわけですが、それにより身を以て学んだこと…それは身近なもので役に立ったもの[ひらめき]
そちらをご紹介しておこおうと思います。
尚、防災グッズにあるものや、カセットコンロなどのような、皆さんが容易に思いつく当たり前のものは紹介から省いておきます。


[1]ラップ
阪神大震災の際にも活躍し、ご存じの方も多いかと思いますが…ラップはかなり重宝します。
断水の時は食器を洗うお水が勿体ないので、食器にラップを巻いて使用すれば、使用後にラップを外して捨てるだけで洗わずにすみます。
一般家庭には紙皿などの備えがなくても、ラップはあります。

また、怪我をしてしまった場合の応急処置にもなります。
傷口を覆えば流れ出る血を防げますし、防水効果もありますね。


[2]2リットルのペットボトル
まだ寒い時期だったので、電気もガスもない中でいかに暖を取るかが重要でした。
ペットボトルにカセットコンロ等で沸かしたお湯を入れ、布団に入れれば湯たんぽ代わりになります[グッド(上向き矢印)]
翌朝、起きる頃に人肌程度にぬるくなっているので、顔を洗ったりするのに使え、2度便利です[わーい(嬉しい顔)]
ペットボトルの種類により弱いものもあるので、アクエリアスのボトルみたいにしっかりした強いものの方が使いやすいです[ー(長音記号2)]


[3]電池式自転車のライト
懐中電灯[ひらめき]の用意がないとか、用意しておいたけど電池がいつの間にか切れていて…という時、夜の灯りの確保が出来ません。
最近の自転車には電池式のライトのものが増えています。
意外と取り外しが簡単だったりするので、懐中電灯の代わりに灯りとして使えました。
LEDライトのものは、かなり広い範囲を照らし、テーブルの上に置いておくだけで役立ちました。


また、個人的には、旅行好き[飛行機]なので旅行時に使う簡易洗濯グッズ(室内にロープを張って簡単な洗濯物が干せる)などを利用したりしました。


大事なことは、「ない中で何を上手に利用するか」だと思います。
備えていなければ、防災グッズも、懐中電灯やランタンもありません。
ない場合に自宅にあるものでカバーをする知恵や発想が重要だと思います。

勿論、日ごろから備えておくことは大切なことです。
私も震災以後、ソーラー式ランタンを買いましたし、ソーラー式充電器も家族が備えています。

でも、全てを揃えておくことは不可能です。
物がたくさんあるから、ない場合に対応出来ないというのではなく、知恵や発想で上手に乗り切ることから、人間は強くたくましくなるのではないかと思います。

…と偉そうに語っていますが、私は割とすぐにパニックになってしまって、冷静に考えられなかったりします[あせあせ(飛び散る汗)]

東日本大震災19 学んだこと2 燃料は統一しない方が良い [東日本大震災]

子育てブログですが、只今東日本大震災の記録を書いています。
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東日本大震災が起きた3月11日は、まだ寒く、夜になるととても冷え込みました[雪]
雪こそ降りませんでしたが、東北の方などはちらついたこともあったんじゃないかと記憶しています。

そんな中でのライフラインストップ[がく~(落胆した顔)]
ガスも電気も通らないと、灯りも点かないし暖も取れません。

そんな中、社宅のあるご家庭は、夜こそ車中泊ですが、寝るまでの間に社宅にいた時間、温かく過ごせたそうです。
それは…もう皆さんお分かりだと思いますが…
昔ながらの石油ストーブをお使いだったのです。

ライフラインが止まってしまうと、エアコンや電気カーペットこたつは勿論のこと、ガスファンヒーターも石油ファンヒーターも使えません。
ガスが復活しても、ガスファンヒーターは結局電源で動きますし、石油ファンヒーターも同じです。
そう考えると、備蓄燃料のみで使える暖房器具が最も有効だったことは明らかです。

考えてみれば、石油ストーブは優れものです[グッド(上向き矢印)]
暖も取れるし、上にやかんを乗せておけばお湯も沸かせる。
余震があるたびに消さなければならないという点はやや面倒ですが、ライフラインの復活を待たずに使えるのはとても有難いです[ひらめき]
極端な話、暖炉や囲炉裏のある家だと、料理もしやすいですよね[ー(長音記号2)]

また、ライフラインの復活は地域によりその順番も早さもバラバラでした。
全体的にはガスの方が電気より早く復活したところが多いようですけど、でも逆だった所もあります。
ただ、オール電化だったら電気が復活するまで何も出来ません。

つまりオール電化のように主要な燃料を1つにまとめてしまうことは、コストダウンのメリットがある反面、万一の時により不便を生じる可能性も高いということです。
実家[家]の周辺は、ガスが復活してから電気が復活するまで数日かかりました。
オール電化の家もあり、電気が復活するまではカセットコンロしかなく、ずっと不便だったそうです。

既に市場では石油ストーブが馬鹿売れしているようですが、やはりあれだけの経験をしてしまうと、また次の大余震が来た時に、確実に暖を取れることを考えるのだと思います。

まさかこれ以上の大地震が生きているうちに起こるとは思えませんが、何が起こるか分からない世の中。
例えば家を新築[ぴかぴか(新しい)][家][ぴかぴか(新しい)]する時に、オール電化は今はオススメ出来ません。
燃料を統一してしまうということは、万一の時にそれなりのリスクを背負うということを痛感しました[ふらふら]

震災以降、高層マンションの人気が落ちたり、オール電化の人気が落ちていることと思います[ダッシュ(走り出すさま)]
高層マンションだと、震災時には高いほど揺れますし、停電の時の不便度も高い。
勿論オール電化も不便です。
高層マンションのオール電化、なんて最悪ですね[たらーっ(汗)]

また、早々にソーラー発電[晴れ]を利用されていた方は、他の家よりずっと早く、元の生活が出来たそうです。
こちらは備えるにはコストもかかりますが、今はかなり人気なのではないでしょうか。

燃料源を統一しないこと。
ソーラー式ランタンなど、燃料がなくても使えるものを何かしら用意しておくと良いこと。
ライフラインが止まった生活をして学んだことです[メモ]

東日本大震災18 学んだこと1 正確な情報を得ることは難しい [東日本大震災]

子育てブログですが、只今東日本大震災の記録を書いています。
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震災後、特に本震災直後から2週間くらいの間は、非常に情報が錯綜していたと思います[たらーっ(汗)]
テレビ[TV]ラジオでも、不確かな情報に対する注意を促していましたが、停電中などは特に情報収集の術が少ないので、どうしてもそうした情報を一瞬信じがちになります。

大体は携帯メール[mail to]に送られてきました。
いわゆるチェーンメールと化していたと思われます[ダッシュ(走り出すさま)]

有名なところで、千葉のコスモ石油爆発火災による有害物質の雨が降る[雨]というものを見聞きした方も多いのではないでしょうか。
「出来るだけたくさんの人に回して下さい[exclamation×2]
と書かれていて、こんなパニック状態だからこそ、皆信じて送ってしまう。
送られてきて、次に送る人は本当だと信じてやっているから、余計に性質が悪い[あせあせ(飛び散る汗)]

最初の頃に流した人は、イタズラ目的なのか、中途半端な噂を大事にして言い回ったのか、本当のところは誰にも分かりませんが、このメールが東日本中に渡っていたのは事実と思われます。
私の携帯にも何通か来ました。
非常に似通った文面で、言葉尻が少し違う、何パターンものメールが。(3通目くらいから目を通さなくなりました[ダッシュ(走り出すさま)]
コピーして転送しているのですから、文面の違いは最初からあったと思われます。
ということは、発信元が何人もいるということ。
例えて言うなら、ダッシュ村のチェーンメールみたいなものです。
必ず絶対止めないでくださいね[exclamation×2]と書いてあります。

停電時は携帯の充電も出来ないので、こんなメールを受け取ることで電池を使うことは非常に無駄です[ふらふら]
送った人は信じて送っているのだから、悪意があるわけではありませんが、そもそも最初の時点で明らかに嘘である情報が流れ始まったものです。
それがたくさんの人の携帯メールに送られて、パニック状態の電波をたくさん塞いでいます。
何とも迷惑な話です。
これにより、もっと重要なメールが送受信出来なかった人がいた可能性も大いにあります[ちっ(怒った顔)]
このメールが不確かな情報の元に送られていると知ったのは、電気が復活してからでした。
もっとも、私は主人が職場でそういう不確かな情報がチェーンメールで出回っていることを聞いてきたので、まわしませんでしたが、知らなかったら…回していたかも[バッド(下向き矢印)]


他にもこんなことがありました。
友人に仙台に嫁いだ子がいて、『仙台で震度7』と聞いていたので心配していました。
やっとメールが通じた時聞いたら「大丈夫だよ」との返事[わーい(嬉しい顔)]
しかし、後日ライフライン復活後、詳細を見てみたら、彼女の住む区は震度5強でした。
仙台と言っても広いので、最大が仙台で震度7というだけで、皆が震度7というわけでは勿論なく…
結果的に、私達の住む地区の方が大きい被害なのに、『仙台』というだけで、自分より被害の少ない子を心配していました[あせあせ(飛び散る汗)]


正確な情報が大事と言っても、ライフラインが確保されていなければ難しいです。
つまり、被害が大きい所ほど、正確な情報は伝わりにくいということです。
正確な情報がより必要な所ほど、伝わらないのです。

東日本大震災17 震災後の生活4 余震に備えた生活 [東日本大震災]

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本震災後、数日は常に揺れっ放しに近い余震の数々[どんっ(衝撃)]
勿論、まともな睡眠なんて取れません。
[夜]は横になってしまうと素早い動きが取れない心配があり、どうしても寝は浅くなり、その結果気分的に落ち着く昼間に少しウトウトするなど、小刻みに眠るような感じでした。

前回の記事(1ヶ月後の大余震=こちら)でも書きましたが、余震が落ち着いてきたかな…と思った頃に、ドン[どんっ(衝撃)]と大きな余震が来ました。
そして5月、6月と、毎月のように11日前後に大きな余震が来るので、なんとなく「少しホッとしてきた頃にガツンとやられる気分」でした[ふらふら]

そのため、暫くの間、お風呂は昼間[晴れ]明るい時間に入るようになりました。
いつ入っても、余震の危険度は変わらないのですが、昼間か夜かの違いってやっぱり精神的に大きく違います[あせあせ(飛び散る汗)]
勿論ゆっくり入ることも出来なく、いつも極力短時間で入浴[いい気分(温泉)]していました。
そして、最初に誰かが入ったら、家族皆が次々入り、ガスや電気を極力使わないようにしました。
これは勿論、節電(節約)の意味もありますし、確実にお湯が使えるうちに入ってしまおうという気持ちもありました。

入浴する時は、着替えは勿論、パイル生地のワンピース(バスローブみたいに、水分を吸い取る働きがある)を備えておき、万一の時にはお風呂から出てすぐにそれを被って避難出来るようにしておきました
既に皆さんご存知と思いますが、地震の際の避難は、時に数秒の差が命の危険を左右します。

女性は特に「恥ずかしい」とか思ってしまいますが(当然私もそうですが)、お風呂から出て殆ど濡れた体にジーンズなど履くのは、明らかにタイムロスです[時計]
濡れた体にも即効上から羽織れるものは、こういう時に必要と思いました。
(幸い、これを着て飛び出すほどの余震は入浴中はありませんでした。最大で震度4でした)
バスローブがある方は、バスローブなどはいいですね[ひらめき]

その点、アリエルはタオルさえ巻いてしまえば、限りなく裸に近い状態でも一応避難は出来るので、赤ちゃんだからこその安心がありました[ー(長音記号2)]

貴重品などは常に枕元か玄関に起き、飛び出す時には抱えられるようにしておくのは絶対[exclamation×2]
暫く寒かったので、アリエルを包むための毛布も一緒に置いておきました。
リュックに水やアリエルのミルクオムツに着替え、離乳食を入れたものも準備しておきました。

今思い出しても、毎日が不安でいっぱいの生活だったと思います[ダッシュ(走り出すさま)]

東日本大震災16 震災後の生活3 1月後の大余震 [東日本大震災]

子育てブログですが、只今東日本大震災の記録を書いています。
子育て記事も合間に書こうと思ったのですが、心理的に一気に書かないと落ち着かないので、暫く震災記事になると思います[ふらふら]
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本震災が3月11日。
やっと大きな余震が落ち着きかけたかと感じ始めていた、1月後の4月11日、かなり大きな余震がありました[どんっ(衝撃)]
私達の地域は震度5強だったかと記憶しています。
ごく近隣の市は6弱でした。
大きな余震があるたびに思ったのですが、震度5強とか6弱とかって、もはや余震のレベルじゃないでしょう[パンチ]
と突っ込みたい気分でした[あせあせ(飛び散る汗)]

4月に入ってから、私は避難していた実家[家]から引き揚げ、社宅で生活していました。
引き揚げてきたのは4月の第1週だったと思います。
「そろそろ余震も震度4くらいまでになってきたし、大丈夫そうだね[ー(長音記号2)]」ということだったのですが、その直後のこの大余震[がく~(落胆した顔)]
かなりの大きさに、停電こそしなかったものの、一時的にライフラインの一部がストップ
(ごく僅かな時間です。安全を確認するまでの間のことだったようです)
余震は夕方17:30頃だったのですが(確か)、その直後から近隣の道路がパニックしたように大混雑の大渋滞しました[ふらふら]

一応社宅の外に避難したものの、日が落ちて寒くなってきているし、そこそこ大きかったものの6強の時ほどでは勿論なかったので、社宅内に戻りました。
不安だったのは、主人が泊まり勤務の日だったということ[もうやだ~(悲しい顔)]
アリエルと2人だし、もしライフラインが完全に断たれたらどうしようという不安がありました。

本震災の時ほどではなかったので、電話[phone to]やメール[mail to]が使えたのは安心材料でした[ダッシュ(走り出すさま)]
それでも若干の混雑で、何度かチャレンジしないと通じなかったりしましたが…

不安に思う中、実家の母が[phone to]をくれ、「迎えに行くよ」と言ってくれました。
でも道路の大混雑・大渋滞を見ると、簡単に「お願い」とは言えず、「大丈夫」と言ったのですが、主人がいない時に2人社宅に残されたままなのはお互い心配。
この後もっと大きな余震が来たら連絡も取れなくなるかも…との不安から、母が「やっぱり行くよ」と言ってくれました。

でも実家から1本出た道が全く動かない状態だったため、「1時間後くらいに出発するよ」と連絡が入り、来てくれた時も、通常なら往復40分くらいの道なのに、来て貰って実家に着くまで2時間半もかかりました[もうやだ~(悲しい顔)]
落ち着きかけたところだっただけに、再びのパニック度は大きく、また1月前より皆動き出すのが早かったように思います

主人に[mail to]したところ、主人も「社宅に2人よりはるかに安心だ」と言ってくれました。
また、これ以後しばらくは、主人が泊まりの時は実家に泊まることにさせて貰いました[あせあせ(飛び散る汗)]
夜通し母子2人だけ、という状態は、私にも主人にも実家の母にも大きな不安材料ですので[ふらふら]


3月11日の後、4月11日。
何だか因縁めいて嫌でした[もうやだ~(悲しい顔)]
(報道等でもそんなことが言われていたかも知れませんが…)
そしてその後も5月、6月と、何故か11日前後に大きな余震や緊急地震速報が鳴る状況が続き、毎月11日前後をかなり緊張した気持ちで過ごすようになりました。

根拠も何もないことだし、地震を研究している人には「単なる偶然」と片付けられるでしょうが、11日前後というのが何かあるような、そんな気持ちを強く持っていましたし、半年後くらいまで、ちゃんと(笑)11日前後は普段より大きめに揺れていました[がく~(落胆した顔)]
計算された数字とか理論とかでは解決できないものがあるのでは、と個人的には今も思っています。

最近少し忘れかけていましたが、1年後の2012年3月11日は凄く怖いです[もうやだ~(悲しい顔)]
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